ちょい悪おやじの!ちょい乘り四方山ブログ

①ネットビジネスのもうけ話と詐欺話
②街で拾ったおもろい事柄
③人生は・・・?うんちく
 オヤジの説教に付き合え
個人的な見解につき 評価は受けても
批判は無視します。他人の中傷にお付き合いするほど、残された時間は多くないのでね。

ゴムの歴史

第 2 項 ゴムの歴史
1.コロンブスの発見
ゴムを文明社会に初めて紹介したのはコロンブスといわれている。彼は 2 回目の新大陸渡航(1493~
1496 年)の際にハイチ島に上陸し、原住民の子供たちが弾むボールを使うのを見て、この奇妙なボールをヨー
ロッパに持ち帰った。しかしその時は実用化されることはなく、その奇妙な物質が本格的に注目され出したのはコロ
ンブスの発見から約 240 年後のことであった。
1736 年、フランスのパリ学士院は緯度観測のため南米に探検隊を派遣した。その一員だったラ・コンダミンは、
南米ペルー地方ではヘベーと呼ばれる樹木から樹液を採取し衣服や靴に塗り防水の役目を果たしているという
報告書と、黒い固まりをパリに送った。その後、次第にゴムは科学者たちの研究の的になった。
2.大英帝国のゴム支配
天然ゴムの学名は「ヘベアブラジリエンシス」という。もともと野生のゴム樹が繁殖したのはブラジルのアマゾン川
流域だけで、“黒い黄金”と呼ばれるほど高価な貴重品であった。
18 世紀から 19 世紀前半にかけ産業革命に成功したイギリスでは、天然ゴムの使用量は増加したが供給源
はアマゾン川流域に限られていたため、野生の天然ゴムを移植してイギリス圏である東南アジアでゴム農園を作り、
ゴムを独占することを企図した。
イギリスの H・ウィッカムは 1876 年、ヘベアブラジリエンシス(トウダイグサ科・ヘベア属・半落葉族)の種子 7
万粒を、禁輸政策をとっていたブラジルから持ち出すことに成功し、種子は直ちにイギリスの植物園に蒔かれ約
2,800 粒が発芽した。その苗木はセイロン島やシンガポールなどに運ばれ、これらが成長してマレー半島周辺が
栽培ゴム樹の母体となった。現在の天然ゴムが基本的にヘベア樹一種なのは、この時の事情によるものである。
オランダも帝国主義的な天然ゴムの移植・栽培を試みたが不成功に終わり、イギリスは第二次世界大戦で
日本軍が東南アジアを占領するまでの長い間、天然ゴムを独占することになった。
3.「加硫ゴム」の発見
原料ゴムにカーボン等の補強材を混合し、さらに少量の硫黄と助剤を加えて成形したのち加熱すると、強靭で
弾力性をもったゴム製品ができあがる。これを「加硫ゴム」と呼ぶ。また加硫前のゴムを「未加硫ゴム」という。この
加硫の発見が、天然ゴムの需要増大につながる結果となった。
加硫を発見したのは米国・コネチカット州生まれのチャールズ・グッドイヤーである。いくつか説があるが、その内
の一説は以下の通りである。グッドイヤーは 1839 年冬のある日、研究室で眠ってしまい、彼のゴム靴に薬品
(硫黄)がこぼれ、それがストーブによって加熱された。翌朝、彼が目を覚ますとゴム靴の弾性が強くなっているこ
とに気づいたというわけである。
さらに 4 年後の 1843 年には、イギリス人トーマス・ハンコックが加硫ゴムの本質がゴムと硫黄の化学結合の産
物であることを見抜き種々の加硫法を開発、ゴム加工技術としての加硫技術を確立した。これにより天然ゴムは
工業材料として需要が増加し、近代ゴム工業が本格的に開花することになった。ハンコックが“ゴム工業の父”と
呼ばれる所以である。

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